悪化する状況を上司に相談するも諦めた僕

初めて訪問する方へ。うつ病時代のまとめ「社内ニートでうつ病になり休職のまま退職したサラリーマン時代のブログ」にて初めの記事から読むことができます。

設計書のないシステム保守の業務を担当した僕は、全く成果がありませんでした。仕事をしているけど、全く成果がない日々。

設計書がないこと、身近にわからないことを聞ける人がおらずメールで尋ねるものの返信は1日1回。いつまでたってもお客さんからの問い合わせに回答できず、対応が完了していない問い合わせが増えていきました。

流石に、ヤバイと思い、上司にこの状況を報告相談しようとしました。

上司らしい人が2人いる

働く部門やグループが次々と変わったので、一緒に働く人も次々と変わりました。

でも、上司に関しては、次々と変わったのかというとそうでもありませんでした。

上司の変遷は以下のようになっていました。

  • 2009年8月に第1システム部の自動車部品会社のグループ
    • 第1システム部の自動車部品会社のグループのAさん
  • 2009年10月に第2システム部のメーカー系のグループへ
    • 第1システム部の自動車部品会社のグループのAさん
  • 2010年2月に第1システム部の鉄道系グループへ
    • 第1システム部の自動車部品会社のグループのAさん
  • 2010年4月に第1システム部の商社系グループへ
    • 第1システム部の商社系グループのBさん
  • 2010年7月からは第3システム部のシステム保守業務へ
    • 第1システム部の自動車部品会社のグループのAさん or 第3システム部のCさん

ほとんどの期間において、第1システム部の自動車部品会社のグループのAさんが僕の上司でした。有休取得のりん議、勤怠管理の締めの確認、個人業績面談など、Aさんが行なっていました。

一部の期間だけ違う人が上司でしたが、基本的にはAさんが僕の面倒を見る人になっていました。

ただ、最後の仕事となった設計書のないシステムの保守業務に関しては、誰が上司なのかよくわかりませんでした。

第3システム部に割り当てられた仕事でしたので、第3システム部のCさんが上司としていました。でも、りん議などを回すときは、Aさんに回していました。

上司Cに「うちのプロジェクトじゃない」と言われる

今の状況はかなりヤバイので、最悪になる前にその状況を上司には伝えておこうと思いました。

入社してからの僕は話しかけることが苦手で、それを避けてきました。話しかける際の声の大きさがわからない、どう話を切り出すかわからない、そんなことを考えるのが苦痛でした。

でも、そんなことは言ってられません。今の保守の仕事は僕1人で担当しています。僕以外にアラートをあげる人はいません。

そもそもこの保守の仕事は第三システム部の仕事とされていましたので、同じ机の島にいて、引き継ぎにも参加した第3システム部のCさんに話すのが自然と考えました。

その日は、朝からずっとCさんに話しかけることに緊張と不安を感じ続け、脳内シミュレーションを何度も実施しました。

出社後も、話しかけるタイミングを伺い、「出社直後に話しかけるのは変だな」「離席したから、帰ってきたときに話しかけよう」「今は忙しそうだな」「昼食前より後がいいかな」「ご飯食べたばかりだから時間をおこう」など考えているうちに昼は過ぎて、夕方になりました。

17時過ぎた頃に、流石に定時を過ぎるわけにはいかないと思い、Cさんの席へ行きました。

が、Cさんは僕に気付きません。そりゃそうです。僕は幽霊がささやくより小さい声で「あのー、Cさんすみません」と言ってるの気付きません。

Cさんの肩ををチョンチョンと叩くと、Cさんはビックリして僕の方へ振り向きました。

「あのー。ちょっと、相談というか報告があるのですが」

僕は担当している保守業務のお客さんからの問い合わせ対応が全く進んでいないこと、今困っていることなどを話しました。

すると、Cさんは「う〜ん、まぁ、こっちは形だけで、別にうちのプロジェクトじゃないから、わからないよ。うちじゃないところに相談して」と言いました。

なんだか、「お前は不要だけど、しかたなく第三システム部が受け入れてやっただけ、お前の抱えてる問題なんて知らん」と解釈できそうです。

僕は「はぁ、そうですよね」と理解したかのような返事をして去りました。「うちじゃないところ」とは第1システム部のAさんのことでしょう。

上司Aにもほぼ同様のことを言われる

その日の夜はずっと、僕はみんなから役立たずのレッテルを貼られているんだと知り、悲しさでいっぱいでした。

今の仕事は第三システム部の仕事ですが、僕以前は営業部、第1システム部、第2システム部などの人が余った時間に対応していたようです。

だったら、第1システム部か第2システム部が担当すればよかったのに、なぜか僕が担当するにあたり第三システム部の仕事になったのです。

そして、ネガティヴな思考で、次のように考えました。

第1システム部も第2システム部も僕が役立たずの不要人間だから第三システム部に押し付けたけど、第三システム部も全部を押し付けられるのが嫌で、僕は第1システム部に所属しながら第三システム部で仕事をしてるのではないか?

そんな風に感じました。

そうだとすれば、第1システム部のAさんに相談しても意味がなさそうです。

でも、どこかにアラートをあげておかないと、後々大変なことになります。だからAさんに相談することにしました。

翌日、Cさんに相談したのと同じように、僕はAさんに話しかけるタイミングを朝から見計らい続け、結局定時間際にAさんに声をかけました。

話しかけ方も、話した内容はCさんに話した内容と同じです。

Aさんは「と言われてもなぁ。りん議とか業績面談は俺が上司だけど、業務についてはこっちじゃないんだよね。Cさんに聞いてよ」

前日のCさんが言ったこととほぼ同じです。

「Cさんに聞いてよ」と言われた瞬間、心の中で何かがたがたと一部崩れました。

もう、無理。相談とか、報告とか、やりたくない。最悪の事態を避けるとか、もう考えたくない。

Cさんにすでに相談したことなどは話さずに、僕は「ははは、そうですよね」と力ない笑顔で返事しました。

もう、今日はこれで終わりにしたい。これ以上会話したくない。