うつ病休職だった僕は大学院進学を決めついに退職することにしました。退職の電話をした日の話です。
振り返ってみると、サラリーマンになって以降、全くうまくいきませんでした。何より、僕自身が全く使い物にならず、打たれ弱く、諦めやすく、惰性に生きた2年間でした。特に後半1年間はその傾向が強かったです。
- 仕事が遅く、ミスを連発して、あっさりと配置転換(6月)
- わからないことがわからず気づいたら社内ニート(7〜8月)
- 会社に行くのが怖くて約1週間仮病欠勤(9月)
- うつ病(診断書は「うつ状態」)により休職(9月〜翌3月)
休職により元気になっていきましたが、復職することは考えられませんでした。再びあの会社で働く場合、どんな面をして働いたら良いのか見当もつきません。そこで、大学院へ進学することにしました。
- 大学院受験準備で教授に会ったり研究計画書を作成(1月末)
- 大学院入試で大失敗(2月中旬)
- 大学院合格の知らせを受け取る(2月末)
こうして大学院へ進学する準備は整いました。次にやらなければならない作業が、退職することを会社へ伝えることでした。でも、すごく苦労しました。
本当に退職して大学院へ進学するのかを再考
2月25日の昼くらいに合格通知を受け取りました。その日は金曜日でした。受け取ってからすぐに会社へ電話して「退職します」と伝えても良かったのですが、それはできませんでした。
ぼんやりと、本当に大学院へ行くかどうかを再考していたからです。結構長いこと考え、「復職しても、どうせまた会社に行くのが怖くなるだろう。そしたら、心療内科へ逃げて休職してしまうだろう」という意見が強かったので、退職することを決断しました(復職か退職かで悩んだ話の詳細はどこかで詳しく書きます)。
決断というか、再確認を終えると17時くらいになっていました。「あと30分で定時か〜」と思いましたが、その日は会社へ連絡しませんでした。
なぜ会社へ「退職します」と伝えられなかったかと言えば、ただ単にそれをやる勇気やエネルギーがなかったからです。その日は金曜日でしたので、土日は会社は休みです。この日電話しなかった場合、次に電話をできる機会は月曜日です。
「土日に電話の内容を考えて、月曜日に電話をしよう」と思いました。
翌週、電話かけられず
土日に電話の内容を考えたかと言えば、何も考えませんでした。そんなのネットで調べればすぐにわかるだろうし、そのことについて考えたくありませんでした。なので、翌週の月曜日にはこんなことを考えました。
「今週中に会社へ電話しよう。あさって、明々後日くらいにしよう」
完全にやりたくないことから逃げているだけでした。
休職により元気になっていきましたが、この2月末〜3月始めの時期は再びぐうたらとした生活に戻っていました。外出もままならず、食事はいつも同じで飲酒量が多く、終日布団の上で過ごす生活でした。大学院入試で頑張り過ぎたわけではありませんが、気が抜けたのかもしれません。それに元気になってきたと言っても、1日にできることは2個か3個ほどという状態です。
トイレに行って、シャワーを浴びて、ご飯を買ってくる。
これで終わりのような日々。
やがて3月になり、火曜日、水曜日と過ぎていきますが、何もしませんでした。そのまま木曜日、金曜日が終わりました。
嫌なことがあると動けなくなるという症状はうつ病なのかどうなのかがわかりません。僕は医師ではないので、この症状のことを「甘え」と思っています。そして、こんなのんびりできることは今後の人生でないだろうから、甘えてもいいやという気持ちもありました。
翌々週、電話をかけたくない
そんな感じでまた週末が終わり月曜日が来ました。それが3月7日です。
しかし、全然電話をしようと思えませんでした。相変わらずうつ病休職初期のような生活をしていて、何かやりたい!と思えることはありません。
でも、心の中は「会社へ電話しなければ!退職の話をしなければ!」という情報で埋め尽くされていました。前の週は40%くらいを占めていましたが、その割合はだんだんと高まってきて、95%くらいになっていたと思います。
そうなると、本当に何もできなくなりました。会社へ退職することを伝えなければならないということが僕を圧迫してきます。
「このままではヤバイ・・・」
状況を変えるために、ようやく重い腰をあげたのが3月9日水曜日のことです。
長いこと休職していたため、僕の会社での所属は中日本事業部という名古屋から、東京の人事部に移っていました。そして、人事部の担当者が僕の上司になっていました。その人からはときどき電話がありました。
「たぶん、あの人に電話したらいいんだろう。えっと、電話番号は・・・」
着信履歴を見て、人事部の電話を探しました。基本的に電話がかかってくるのは父と母だけなので、東京03から始まる人事部の電話番号はすぐにわかりました。
この番号に電話して「会社辞めます」と伝えらばそれで終わりです。
「電話がつながった後、どう話せばいいんだろう?」
パソコンを開いて、メモ帳に文字を打ちました。
「休職している。あいことです。山田さんいますか?(山田さんに変わる「もしもし、山田です」)家族や医師と相談して決めたのですが、退職することにしました。(山田さんが何か言う)」
それ以上は何も思いつきません。向こうがどんな反応をするのかがさっぱりわからないため、この続きを書くことができませんでした。僕は退職の連絡をする経験が一切ないので、何を伝えたら良いのかさっぱり見当もつかないのです(今、振り返って思うことは、辞めたいという意思と辞めたい日付を伝えるだけで十分だと思います。うつ病で休職してるので、相手も体調や健康面で退職するんだろうなとわかってくれると思います)。
これ以上考えても何も思い浮かばないため、それで終わりにしました。そして、いつ電話をかけるのかを決めました。
「3月11日の午後14時に電話をしよう!」
今日3月9日水曜日、明日3月10日木曜日は電話をすることを一切忘れよう。明後日だけ頑張ろう。14時にしたのは、午前中は忙しそうだし、午後一だと昼食後でバタバタしているかもしれないと思ったからです。
要するに、再び逃げたわけです。
非常事態により電話かけられず
前日の夜なかなか寝られなかったため、3月11日金曜日の昼12時ごろに起きました。14時に電話をすると決めたため、14時までの2時間を緊張感と不安感で過ごしました。
何をやってもソワソワしました。こんな状況なら今すぐ電話しようとも思い、携帯電話を開きますが電話番号を入力する勇気すらなく、「決めていた14時になったら本気を出そう」と思いました。
「まだ本気を出していないだけ、本気を出せば電話くらいできる!」と言い聞かせないと電話をかけられそうにありません。それくらいの緊張でした。
やがて14時になりました。「14時ピッタシの時間に電話をするのは変だ」と言うことで、14時6分に電話をすることにしましたが、14時6分になっても電話できませんでした。番号を入力するのですが通話ボタンを押せません。
「とりあえず、ご飯を買いに行こう」
徒歩5分にコンビニがあります。たった5分の徒歩でも気分をよくできるのではないかと思いました。気分がよくなれば、状況を変えられるかもしれない
約15分後、コンビニから戻ってきましたが、通話ボタンが押せません。とりあえずご飯を食べようかと思いましたが、食べる気分ではありません。尋常じゃないほどの緊張感と電話すらできない自分自身への残念感を感じているため、ご飯を食べたいと思えないのです。
5分経過し、10分経過し、15分が経過し・・・。
突然、大きく揺れ出しました。
「???」
あまりにゆっくり大きく揺れるので何が起きたのかさっぱりわかりませんでした。あまりの緊張からめまいを感じているのかと思っていました。長い揺れだったように感じましたが、時間を計っていないので何秒揺れていたのかわかりません。揺れが収まると、外が騒がしく感じました。ここ最近は体を動かないことが多かったのに、急いでカーテンを開けて窓から外を見ました。
道路には10名くらいの人が心配そうに外の様子を見て、互いに「大丈夫だった?」みたいなやり取りをしています。
その時、ようやくそれが地震だったとわかりました。「そうか!地震だったから揺れたんだ」その次の瞬間、僕はこう思いました。
「東南海トラフ地震が来たんだ!」
当時は名古屋に住んでいたのでそう思いました。とは言っても、僕はハザードマップを見たこともないので、このアパートは安全なのかもわかりません。避難所もわかりません。慌ててテレビをつけると、東北の方で地震があったことが報道されていました。そして津波についても注意が促されていました。
「なんだ、ここじゃないのか。まぁ、この程度の地震なら被害は小さいだろう」
根拠はありませんが、被害は小さいと思いました。今でも思うことですが、あの時点でもあんな大きな津波がやってくるとは想像すらできませんでした。でも、この地震が東北地方太平洋沖地震であり、その後の津波や原発事故と合わせて東日本大震災と呼ばれています。
それからしばらくテレビを見ていました。
ボロボロと泣いていました。僕の国が壊されていく。そんな気持ちでした。
19時頃、電話がつながり退職を伝えた
16時過ぎに福岡に住んでいる父から電話がありました。電話というか正確にはスカイプです。たまたまノートパソコンを開いていたので、着信に気づくことができました。電話は全然通じませんでした。みんな一斉に使っているからなんだと思います。一方で、ネットの接続は何も問題がありませんでした。だから、スカイプは通じたのだと思います。
互いの状態を確認したあと、父から「退職の件は会社に伝えたのか?」と聞かれて、ようやく退職の電話を思い出しました。
僕「まだ・・・」
父「今日はつながらないだろうから、来週だね」
僕「うん」
今日を逃すと、土日は休みなので来週まで電話できません。土日の間、半殺しのような感じで月曜日を待たなければなりません。それは嫌です。
父との会話を終えると、急いで会社に電話しました。通話ボタンを押すのに5秒ほど時間が必要でしたが、どうせ電話はかからないだろうと開き直ることで押すことができました。
そして、予想通りに全然通じませんでした。20回くらいかけましたが全然ダメだったと記憶しています。
「時間を置こう。もう少し時間が経てば状況が変わるかもしれない」
2時間ほど時間をおきました。18時〜19時の間くらいです。普通ならこの時間帯には担当の人事の方は帰宅していると思いますが、僕は何も考えずに電話しました。とにかく今日中に退職宣言をしたいのです。何度も電話しているため、以前みたいに通話ボタンを押すことに緊張はしませんでした。すると普通につながりました。
電話に出たのは僕の担当をしている人で、つまり休職中の僕の上司にあたる人です。まず、安否に関して聞かれました。
人事「あいことさん、大きな地震でしたが怪我はありませんか?大丈夫でしたか?」
僕「あ、あ、えっと、大丈夫です」
電話は通じないと思い込んでいたので、話す準備をしておらず「あ〜」とか「え〜」とかいう意味ない言葉をたくさんつけてしまいました。
その後、どうやって話を切り出したのかは遠い記憶なので覚えていません。おそらく「今回はどうされましたか?」とか聞かれたので、「退職することにしました」と伝えたのだと思います。
人事の方が「そうですか、それは残念ですが、あいことさんの選んだことですので、尊重します」とかそんなことを言ってた気がします。あと、退職届を郵送してほしいということも言われました。
最後に、「よろしくお願いします」と伝えて電話は終わりました。
通話時間は2分もなかったと思います。この2分のために2週間以上にわたり緊張と不安で後回しにしてたとは・・・。もっと早くにやっておけばよかった・・・。そう思いました。
その後
実はこの電話ではいつ辞めるのかを伝えていませんでした。すっかりそのことを忘れていましたので、退職届が書けませんでした。次の週の月曜日に再度人事へ連絡し2011年3月31日に退職することになりました。
サラリーマン生活もあと20日ほどで終了というわけです。休職しているので、今の生活はサラリーマン生活と呼べるものではないですが・・・。
最後に。僕が退職を伝えた2011年3月11日は東日本大震災が発生した日です。この震災では本当に多くの方が亡くなりました。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
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