担当したシステム保守の業務は、設計書がなく、引き継ぎもイマイチで、僕自身に実力がなく、1人ではお客さんからの不具合やバグ報告に対応できない状況に陥っていました。
前任者的な存在だった先輩社員にメールを送り色々と尋ねるものの、先輩方は全員社外勤務だったため社内メールの確認頻度が低く、メールの返信は定時後に1日1回あるだけで、僕の業務は一向に進みませんでした。
仕事に関しては完全に行き詰まり、毎日苦しんでいましたが、もう一つ苦しい理由がありました。
それは、完全にひとりぼっちで孤独だったことです。
社内では、1人でその保守業務を担当していたことや、僕が次々と所属が変わったため、あまり濃い人間関係を構築していませんでした。多くの人を満遍なく薄く知っている感じでした。
家では、結婚もしていないし彼女がいるわけでもなく一人暮らしで友達もいないので、家に帰ると孤独で何をすれば良いのかわかりませんでした。
成功者には孤独な人、友達が少ない人が多いなんて言われていますが、僕はどう見てもミスばかりする失敗者なわけで、こんな奴は家庭を持つこともなく寂しく生きていくんだろうなと悲しい日々でした。
ひとりぼっちで孤独な社内
次々と変わる僕の所属
僕の勤務していた中日本事業部という事業部の構成は以下のようになっていました。
- 中日本事業部
- 第1システム部
- 鉄道系グループ
- Aプロジェクト
- Bプロジェクト
- Cプロジェクト
- 自動車系グループ
- 商社系グループ
- 鉄道系グループ
- 第2システム部
- 第3システム部
- 営業部
- 第1システム部
部門と呼ばれる第1から第3までのシステム部と営業部。各部門の下にグループがあり、そのさらに下にプロジェクトがありました。
そして、僕はこの事業部に配属して以降は以下のような変遷をたどっています。
- 2009年8月に第1システム部の自動車部品会社のグループ
- 2009年10月に第2システム部のメーカー系のグループへ
- 2010年2月に第1システム部の鉄道系グループへ
- 2010年4月に第1システム部の商社系グループへ
- 2010年7月からは第3システム部のシステム保守業務へ(今ここ)
実際には最初に配属になった第1システム部の自動車部品会社のグループの所属でしたが、働く場所はコロコロと変わりました。一方、中日本事業部には僕以外に7名が配属しましたが、他の7名は2009年8月以降、ずっと同じ部門の同じグループで仕事をしていました。
僕だけ、次々と所属が変わり、違う人たちと働き、あっちゃこっちゃ行きました。
今思うと、僕はよほど使えない奴だったのでしょう。どの部門もグループも僕が不要だから、僕の受け入れの譲り合いをしていたのだろうと思います。
「転石苔を生ぜず」ということわざがありますが、僕は、社内の人とも打ち解けることはなく、ITスキルも十分には身につかず、業務も1人で成し遂げられない。そんなサラリーマンになっていました。
社内での繋がりがなくなる
僕の配属した事業部では、グループごとにイベントをする文化がありました。忘年会や新年会などです。僕も配属したばかりの頃は、参加していました。幹事とかやらされていました。正直なことを言えば、そうしたイベントは嫌いでした。
やがて僕は、次々と働く部門やグループが変わりました。働く部門やグループが変わっただけで、実際の所属は第1システム部の自動車部品会社を相手にしているグループでしたが、そうは思われていなかったようでした。そのため、第1システム部の自動車部品会社グループのイベントには呼ばれなくなりました。
一方、僕が実際に働いていた部門やグループでも、僕は違う部門・グループの人と認識されていたため、そちらでもイベントごとに呼ばれませんでした。
会社の飲み会やイベントが嫌いだったので、それはそれで嬉しかったのですが、僕自身が社内で忘れられた存在になっていることは悲しいことでもありました。
そして、だんだんと社内での繋がりがなくなっていきました。同期と話をした時にそれをはっきりと感じました。
楽しそうに先輩の話をする同期とそんな話がない僕
同期ともそんなに仲良くありませんでしたが、ときどき同期で集まって飲み会をしました。
もちろん、僕はこの飲み会も嫌いでした。なぜなら、会話の内容の大部分が会社や仕事の話になるからです。
そして、その飲み会ではみんな「〇〇さんと飲みに行ったときにさぁ、かくかくしかじかでさぁ」など職場の先輩の話を楽しそうに紹介していました。
- 先輩とご飯を食べた
- 先輩とスポーツをした
- 先輩と旅行に行った
- 先輩がこんなミスをした
- 先輩に助けられた
などなど、同期からはさまざまな先輩エピソードが出てきます。
一方の僕は、そういうものはほとんど持ち合わせていませんでした。とりわけ今やっている保守業務に関しては1人です。僕の机の島には僕と上司が1人いるだけです。メールで先輩とやり取りはしていますが、その先輩に関するエピソードはありません。上司も形式的に上司になっているだけで、会話は1日に1度するくらいです。
なので、同期たちがするような仕事に関する面白いエピソードなんて持っていません。
「なぜ、同期たちはこんなにも楽しそうに仕事をしているんだろう?僕は全然ダメだ・・・。僕がもし違う配属先に行っていれば、楽しく仕事ができたのではないか?」
隣の芝が青く見えるわけですが、おそらく配属先が違っていても同じ結果になったと思います。社内で繋がりがなく、仲のいい先輩もいない、始業時に会社に来て、定時に帰るだけ、そんな結果です。
社内でだけひとりぼっちで孤独ならまだ良かったのですが、家でも孤独でした。
家でもひとりぼっち
大学時代、学校に行けば友達がいました。話をしたりご飯を食べたり、そんな毎日を送っていました。
社会人になり、神戸を離れ、見知らぬ街名古屋へ来たので、そこは全く知らない街で、友達なんていません。 その結果、平日も週末は暇で、孤独で、辛かったです。
でも、見知らぬ街名古屋に就職したから友達がいないわけではないと思います。大学の友だちで名古屋に就職した人は何人もいました。でも、みんな会社の人や新しい友だちと仲良くなって、新しいコミュニティーを作って楽しんでいるようでした。
一方の僕は、会社の人には会社でしか会わなかったし、それ以外の場面での出会いもないので、ずっとひとりぼっち。
だから、たとえ僕が地元に就職したとしても、東京で就職したとしても、僕はひとりぼっちの孤独になったでしょう。平日も休みも1人でした。そして、毎日、ほぼ同じ日々を過ごしていました。
平日
- 朝8時25分くらいに起床。5分で準備をして会社へ行く。
- 朝9時前後に出社。ほぼ毎回遅刻していたと思います。
- 夕18時くらいに帰宅。買ってきた酒とつまみを飲みながらテレビやネットサーフィンをする。
- 朝3時から3時30分ごろ就寝。
休み
- 朝11時くらいに起床。
- 昼、家でテレビやネットを見る。
- 昼、転車でどこか行く。
- 夜、酒とつまみを飲みながらテレビやネットサーフィンをする。
1人で孤独にやっていたこと
孤独なので、平日は帰宅後、休日は1日中、退屈でした。だから、退屈を紛らわせるために1人でできることをしていました。
自転車で遠出
朝早くから自転車に乗って名古屋市外を飛び出るところまで走ったことが何度もあります。ある日は、途中で雨が降ってきて、ゴルフ場周辺の暗い道を走り、大きな川を渡るのに苦労し、やっと家に帰ってきたりしました。
AEON MALL巡り
AEON MALL巡りもしました。AEON MALLなんてどれもこれも同じ店しか入っていないですが、とりあえず巡って、パン屋で一つパンを買って食べて、次のAEON MALLでもまたパンを一つ買って食べてという意味のわからないことをしながらAEON MALLを巡りました。
深夜に放送される海外ドラマ
週末の夜は、ヴェロニカ・マーズが深夜に放送されていて、それをよく見ていました。でも、ストーリーは全く理解できませんでした。ただ、素早く流れていくストーリーを傍観していただけです。一人で、海外ドラマを見るのは、孤独そのものでした。
ダイエット器具
ある日、テレビショピングを見ていた時に、レッグマジックサークルというダイエットマシーンのCMをやっていて、ダイエットをしようと思って購入しました。2週間後、洗濯物干しとして使うようになりました。
プレステ
ある日は、こんなに暇ならプレステ2を買おうと思い何軒かのブックオフを巡ってプレステ2とF1ゲームとメタルギアソリッドを買いました。それ以来、毎日のようにプレステをするようになります。毎日F1のゲームをしていましたが、大して面白くなかったです。でも、僕にはそれより面白いものがなかったので、そればかりやっていました。
スカイプ英会話
ある時期は、スカイプの英会話を習いました。フィリピンの人がやっているので安いというやつです。でも、当時の僕はあまり英語ができなかったのと、毎日会社に行って帰ってきてプレステをするというだけの孤独な生活だったので、面白い会話もできませんでした。向こうも面白くない人だなと思ったのか、ずっと誰かとチャットしているらしいキーボードのタイピングの音が聞こえました。
1人でやっても満たされない日々
いくら1人で行動しても、孤独感は満たされませんでした。
どうやって、友だちとか作るんだろう?
どうやって、孤独じゃない生活をすればいいのだろう?
ぼんやりと「家族を持つお父さんになりたい」という夢がありましたが、この先ずっと孤独なんだろうな。
悲しみが大きくなって、夜は毎晩酒を飲んで泣いていました。
流石にこれはやばいと思い、心療内科への通院を再開したり、仕事の状況を上司に相談したりすることにしました。
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