同期との大きな差を痛感し自信喪失して社会人1年目終了

初めて訪問する方へ。うつ病時代のまとめ「社内ニートでうつ病になり休職のまま退職したサラリーマン時代のブログ」にて初めの記事から読むことができます。

入社して以降の僕は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず仕事も遅く、家に帰ったら毎日浴びるように酒を飲み、夜更かしと遅刻を繰り返していました。全く社会人としてのリズムやペースを掴めないまま社会人生活の中で溺れているだけ。

まさに使えない新人とは僕のことでした。

では、いつ僕が「あぁ、本当に僕はダメな社員なんだ」と認識したのか、客観的に理解したのかと言うと、新人時代が終えようとしていた年度末の3月の頃です。

この時期、1年目の新人社員が東京本社に集められて、この1年間でどう成長したのか?などを発表する研修がありました。

僕はこの研修で発表する資料作りで苦労し、他の同期と比べるとはるかに質の低い僕の発表資料しか作れず、上司たちには酷評され、自分自身に失望しました。同期との差を痛感し、自信を失った形で社会人1年目が終了した話です。

研修用の発表資料が作れない。僕は一体この1年に何をしたのか?

新人時代が終わろうかという社会人1年目の3月ごろ時に、自分の一年間の成長やら今後のゴールやらを発表しなければならない研修がありました。この研修は東京の本社で行われ、他の同期や人事の前で一人ずつ行うものです。

まず、発表資料を作る必要があるのですが、僕はこの資料を全然作ることができませんでした。

早く作らないといけないのに、全然アイディアも思いつかず、考えようにも考えられないし、どうしてしまったんだろうか?と思いながらも、手付かずのまま時間が過ぎて行きました。

確か3月中旬の月曜日に、名古屋の中日本事業部の事業部長、副部長、上司、先輩社員の前で、その発表資料や発表をチェックする機会がありました。

ところが、僕は全く発表作りが進まず、金曜日にもできず、土曜日にもできず、日曜日にもできず、結局発表チェックの当日の月曜日の朝ギリギリ完成したような感じでした。

なぜ、こんなに発表資料が作れなかったかといえば、僕はこの1年間仕事をするたびに自信を失ってネガティブ思考になっていました。自信は失われ続け、どちらかといえば働きたくない、仕事と関わりたくない、仕事は最低限だけ、家に帰っては酒を飲んで、出社はギリギリ。

そんな生活だったので、この1年間の成長したこととか、今後どんな風になりたいかなんて考えたこともないわけです。なので、作れるはずがありません。

ため息と失望、酷評される僕の発表

結果として、僕は、1年目の社会人としての仕事の記録など一切とっていなかったので、自分はこんだけ成長しました!といったところで、証拠不十分、説得力なしというパワーポイントを作りました。

そして、それを発表しました。発表時間とか、何番目に発表したかも覚えていませんが、発表が終わった後の上司たちのため息やら失笑は今でも忘れられないです。それくらいにひどいものだったので仕方がないですが・・・。

そして、もちろん酷評されました。かなり厳しい口調でコメントする上司もいて、心が痛むのを感じました。でも、こうなったのは自分の責任ですから。

さらに、よく覚えているのが、数名の先輩が僕の発表最中〜発表後くらいに離席し、次の発表者の発表が始まるまで戻ってこなかったことです。

考えればすぐわかることですが、他人が酷評されたり、厳しいコメントをされている様子を見たいという人はいないと思います。ほとんどの人が不快に感じるはずです。たぶん、その先輩たちもそうなんだと思います。僕の発表の途中までを見て「こりゃヒドいぞ!厳しいコメントがされるはずだから、その時間だけ離席しておこう」と思ったのでしょう。だから、その時間だけ席を外したんだと思います。

説得力のある発表をする名古屋の同期たち

それに対し、同期は、配属後、配属してしばらく、最近の3つくらいの段階に分けて、配属後はテストが1日に何ケースしかできなかったが、今では1日にこんなにできるようになったとか、自分の担当した箇所のバグの数がこんだけ少なくなったとか、様々な場所に数字を使って説明していました。

そうした同期たちの発表練習を見て、上司たちは、「君みたいな子に仕事をしてもらいたい!」と大喜びでした。

数値データが大切なのは僕も知っています。でも、それを本当に知っているのと同期たちとただ知っているだけの僕はこんなにも違うんだと感じた出来事でした。そして、すごく落ち込みました。

PDCAサイクルを回し成長する同期たちと、PDサイクルで変化しない僕

PDCAサイクルというのがありますが、僕の場合、 PLANして、DOして、不安になり落ち込み、嫌嫌次の作業を始めるというサイクルだったんだと思います。

つまり、 PD→PDと言った具合に、PDしか機能していませんでした。結果として、PDサイクルだけで変化なしの僕。

一方、同期たちは、 PLANして、DOして、CHECK(評価)とACT(改善)ができるように日々の記録をしっかり残して確認して、業務を改善するということが身についていた、もしくは身につけようとしていたんだと思います。

僕だけが、やり直しを命じられるが、変化なし

僕は、その後2回にわたり、この発表資料の修正を言い渡されて、合計で3回も上司たちに見てもらいましたが、もちろん上司らが納得のいくプレゼン資料は作ることはできませんでした。

僕を含めて8人いた同期のうち、やり直しを命じられたのは僕だけでした。

考えても何も思いつかない。作業しようにも何も手につかない。 この発表資料にしてもそうだ。全くどう作っていいかわかりません。

いくら考えてもいい発表内容は思いつきませんでした(そりゃ、使えるネタがないから、作れるはずもない)。

自信はさらになくなり、社会人1年目は終了

ひどい内容のまま東京の研修に参加し、同期や人事の前でその発表をしました。結構、ワイワイと賑わっていた研修で、新人が発表した後の質疑時間も様々な質問が飛び交い盛り上がっていました。

でも、僕の発表のときには一切質問がありませんでした。仕方なく人事の方が「君は将来どうなりたいの?」みたいな質問をしてきましたが、僕は「う〜ん、わかりません。とりあえず頑張ります」というバカみたいな回答をしたのをよく覚えています。

この時、強く思ったことは「大学の頃は、人前で発表することは得意だと思っていたし、資料作りも得意だと思っていたけれど、でも、そうじゃなかったんだ。あれは、一緒に作業してくれた友人の助けがあったからできたんだろうな」ということでした。

自信とか、夢とか、そんなものを持ちたくなくなり、すごく消極的になって、どちらかというとネガティブな方向の目標を持つようになりました。

「我慢して生きていこう」

そんなのが僕の目標となりました。

今思うと、この頃くらいから、上司たちも「こいつは使えない問題児」と確信するようになったんじゃないかという気がします。

なぜなら、3月が終わり、次のプロジェクトに移動した際に行われた飲み会で、そのプロジェクトの先輩メンバーの1人に「君って、あの問題の?噂は聞いてるよ〜」と言われたので、きっと社内には僕に関する良くない噂がたっていたようです。

こんな感じで、僕の社会人1年目は自信を失って終了しました。