2010年7月から担当した保守業務では、設計書がないことや自分自身に実力がないことが原因で、仕事は一切進まず、成果はゼロのような状態、毎日会社に来ているだけと言っても過言でない状況になっていました。
そして、この時期、ふと「仕事したくない」「会社に行きたくない」と強く思うようになりました。
入社してからの僕の楽しくない人生
僕の社会人生活を振り返ってみると、楽しかった時期は本当にわずかで、あとはずっと一人ぼっちで寂しい生活です。
楽しい部分が不安に押しつぶされる日々
研修で突然話しかけられなくなる緘黙のような状況になり、入社以降ずっと人に話すことに苦労し、その結果なかなか会社の人と仲良くなれない僕は、会社にいること自体が苦痛でした。その苦痛も日々増えていきました。
もちろん、働き始める前は覚悟がありました。社会人生活が毎日楽しいだけの生活ではないことは理解していましたし、覚悟していました。これから先の人生はきついことが9割、楽しいことが1割。社会人とはそういうものなんだ!と思っていました。
ところが、僕は自分に降りかかるであろう出来事に極度に不安を感じ、不安に支配されたおかげで楽しいことは1割もなかったです。0.3%くらいだったと思います。
- 誰かに話しかけられたらどうしよう
- 誰かに話しかけなければならない状況になったらどうしよう
- わからないことがあったらどうしよう
- 今日も問い合わせが来たらどうしよう
- メールが来たらどうしよう
- メールを送らなければならない状況になったらどうしよう
などなど、「あれが起きたらどうしよう」「これが起きたらどうしよう」と毎日、自分に起こるであろうことにビクビクして生きる日々。
積極的な対策をせず、消極的になる僕
職場で談笑しながら仕事をする同期を見ては「なぜあんなに楽しそうに仕事ができるんだろうか?僕自身に問題があるのだろうけれど・・・」と悩みました。
でも、不安になったり、悩んだりするだけで、解決策を考えたり、実行したりはしませんでした。たぶん、疲れていたんだと思います。まだ、何もやっていないのに、疲れていたんだと。
もちろん、解決策を考えることもありましたが、それらは「我慢する」「時間がたつのを待つ」「今日はもう諦める」など、消極的なものばかりでした。
ずっと働き続けた両親ともう働きたくない僕
自分の出来の悪さに悩んでいると、必ずと言っていいほど両親のことを思いました。
大学まで出させてくれた両親、きっと僕に期待もしていたでしょう。でも、僕はまだ頑張っていないのに、もうクタクタなのです。
子どもの前でネガティブなこと一つ言わずに働き続けた両親
僕の両親は共働きでしたが、両親ともに家では会社で起きた面白い出来事や楽しかった出来事をよく話していました。一方で、会社の人間関係が難しいとか、仕事の愚痴とか、ネガティブなことを話しているのを聞いたことがありません。
きっと両親も愚痴を言いたくなるような出来事や嫌な出来事も経験してきたんだろうと思います。
働くということを30年以上やってきた両親、そして、仕事に関するネガティブなことを子どもの前では一切言わなかった両親、本当にすごい人たちです。
自分の情けなさと働きたくない思いを強く感じた僕
それと同時に、自分自身の情けなさが胸に突き刺さって来ました。なぜ、あんなにも胸が痛くなるのか知りませんが、この時期は毎日のように胸の痛みを感じていました。
「僕は今の状況だと、働き続けられそうにない。僕は、仕事が嫌いなんだ」
誰でもそうだと思います。仕事が好きな人もいると思うけど、嫌いな人の方が多いでしょう。
でも、僕は仕事が嫌いなんだと気づいたとき、これを定年退職の60歳まで続けられる自信はありませんでした。10年でも無理だと思います。5年でも・・・。3年でも・・・。
「もう仕事したくない。働きたくない。会社に行きたくない」
この時期、そういう事ばかり考えるようになりました。
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