この記事は、新卒で入社したIT企業にて人と話ができなくなり、ろくに活躍することもなくミスを連発し社内ニートへ、うつ病による休職と退職をするまでのまとめページ(記事一覧)です。
新人研修編
大学時代はかなり積極的に行動し、サークルの活動でリーダーをやったり、ゼミではゼミ長をしていました。合宿を企画したり、議論を取りまとめたりと、僕はコミュニケーションや人との交流に関しては得意な方だと思っていました。
しかし、IT企業に入社したものの、新人研修のグループワーク以降、人と話せなくなり自信をなくします。
入社前からネガティブな思考
入社する前後、つまり学生最後の日と社会人最初の日の心構えや行動がすごくネガティブでした。
社会人になることへの不安ばかりが頭をよぎり、失敗したらどうしようなどばかり考えていました。「失敗しないためには行動しない」という深層心理が、その後に訪れる「言葉を発せない」という状況をもたらしたのではないかと思います。

突如、グループワークで言葉を発せなくなる
2ヶ月目、4人1グループのシステム開発グループワークが始まると順調だった状況が一変します。
最初はたまたま話す機会がなかっただけのはずでした。しかし、どう話したら良いのかわからなくなり、言葉を発することにプレッシャーがかかり、話を切り出すことができなくなりました。

言葉を発することに夢中で話を聞いていない
さらに、研修での日直業務の一つとして人事から全員に伝えてほしい連絡事項を伺ったのですが、普段のグループワークで言葉を発することができない僕は返事だけでもしっかりしようと思い「はい、わかりました」とハキハキと返事することだけに気を使ってしまい、話の内容を聞いていないという事件も起こしました。

ぼっち飯
言葉を発せないので、友人も離れていきました。ほぼ毎日ひとりぼっち。ご飯の誘いもなく、週末遊びにいく誘いもなく、さらに研修中の昼ごはんでさえぼっち飯でした。研修中にホッとできるのは、ひとりになれるこの昼食時間だけだったので、個人的には「ぼっち飯で助かるなぁ」と思っていましたほどで、本当にかわいそうな奴になっていました。

研修3ヶ月目 コミュ障なのにリーダーをしたけど無成長
研修3ヶ月目になると、グループがシャッフルされ、再び違う人たちとシステム開発のグループワークを実施しました。
2ヶ月目に行われたグループワークでは、僕は毎日をほぼ無言で過ごし一切活躍することなく終わったにもかかわらず、このグループワークではリーダーをしました。いやいや引き受けましたが、内心は「これは変われるチャンスかもしれない!」と期待もしました。でも、実際は何も変わりませんでした。

プライベート面もめちゃくちゃに
研修での情けない状況は私生活にも悪影響をもたらしました。飲酒量が増え、部屋がどんどん汚くなりました。さらに、前髪の産毛がどんどん抜けていき、おでこが広くなっていきました。公私ともにめちゃくちゃでした。

新人社員編
研修後に名古屋の事業部に配属し働き出しましたが、新人研修がこのザマですから配属後も上手くはいきませんでした。
この時期は、生きることはできましたが、地に足がついていないまま社会人をしていました。毎日、会社に行って仕事はしているものの、明らかにペースやリズムが悪く、「これで大丈夫なのかな?」と不安になる日々の話です。
仕事になかなか慣れない!けど、新人なら当然の話。でも、僕は相変わらず人と話せず、仕事のパフォーマンスも悪かったです。同期と比べても全てが悪く、上司達も僕のことを問題児と認識し始めます。
新人が電話対応する必要はないと思う
新人として最初の仕事が電話対応でした。でも、実際には電話取次ぎ業務でして、電話対応を通じて社会人として必要な力が身についたかと言えば、NOでした。しかも、取次ぎミスでめちゃくちゃ怒られてしばらく落ち込みました。

わからないことがあるのに相談できない
配属したプロジェクトにはいい人たちばかりで「怖い人もいなくてよかったぁ」と思っていたのですが、それでも話しかけることができませんでした。社会人はホウレンソウが重要ですが、新人でわからないことがたくさんあるのに相談することがなかなかできずに、どんどんわからないことが貯まっていきました。その際に消極的な3つの対応をしました。結果的には、周囲の新人社員に対する配慮のおかげで、自分から行動しなくても問題は解決されていきました。

通勤ラッシュに試行錯誤する
田舎に住んでいたことや電車通学を経験したことがなかったため、通勤ラッシュは苦痛そのものでした。満員電車も嫌でしたが、駅から勤務先まで続く通勤行列も朝から僕のテンションを下げました。なんとか対策をしましたがあまり役に立たない対策でした。

相変わらず慣れない
プロジェクトメンバーと話をすることすらろくにできないままプロジェクトは9月で解散し、10月から別の部門のプロジェクトへと移動になりました。また知らない人とのゼロからの人間関係構築をすることになりましたが、このプロジェクト変更をきっかけに自分を変えてみんなとワキアイアイと働こう!と思っていましたが、実現することはありませんでした。相変わらず社会人生活に慣れません。

僕=仕事ができない=残業する
僕が途中から加入したため、割り当てられた仕事量が圧倒的に少なかったのですが、それでも定時までに終えることはできず進捗はどんどん遅れ残業をせざるを得ませんでした。周りはみんな定時に帰るのに、1人で残って仕事です。しかし、残業しても相変わらず進捗を取り戻せず、「仕事ができない奴ほど残業するんだな」と実感しました。

寝たくない
社会人生活に慣れず、仕事もさっぱり上手くいかず、そんな生活が続いて僕は夜遅くまで起きるようになりました。寝てしまうとすぐに次の日の朝が来てしまうことが嫌だったのです。言っている意味がわからないかもしれませんが、夜が明けることが怖かったです。遅く寝るようになった結果、遅く起きるようになり、遅刻も多くなりました。

おかしな話かけ方
相変わらず人に話しかけられない状況は続き、話をしなければならない状況ではおかしな方法で話しかけていました。「あの〜話があるんですが・・・」と言えない僕が編み出した100%成功する方法です。ですが、おかしな方法なのでオススメできません。普通に話を切り出すために声の出しからに関する本を購入したりしたのですが無駄でした。

ついに心療内科へ
社会人生活が厳しいものであるのは普通のことです。でも、僕は普通以上に悩んでいます。明らかにおかしいのだが、どこに行けばいいのかさっぱりわからず、「大人版進研ゼミがあったら絶対役立つのになぁ」と思っていたところに心療内科というものを知った。
「今すぐ助けてほしい」初めて心療内科に行くことになったものの、予約が取れたのは2週間後で受診当日はいまいち自分の状況を伝えられずに消化不良が残るものでした。

僕史上唯一の楽しかったプロジェクト
サラリーマン時代のほとんどが辛いことでしたが、たったの1度だけ楽しかった仕事がありました。そのプロジェクトは僕を含めて3名だけで、残りは女性の先輩でした。人数が少ないことや、特に女性の方が多いということにあってか、プロジェクトの雰囲気はよく、比較的コミュニケーションを取ることが楽になり、仕事を初めて楽しいと感じられました。

新人全員が集まる研修で自信喪失
3月、東京の本社に全国の新人が集められて「1年間の成長や将来の目標を発表する」みたいな研修がありました。僕は、毎日嫌嫌働いていましたので、その資料が全く作れませんでした。成長の実感もなければ、将来を考えることもしてないので、ネタがありません。まず名古屋の上司たちのチェックにて酷評され3回も上司たちの前で発表のやり直しをしましたが、改善されることはありません。一方の同期たちは本当に説得力のある資料を作っていまして、「同期と僕はこんなにも違うんだ」と客観的にはっきりと感じることができ、僕は自信喪失で新人社員から2年目の社員になりました。

社内ニート編
2年目になり新たに頑張ろうと思ったものの、客先でミスを連発し別の仕事担当へ。その仕事は設計書がなく、僕は実力もなく、何がなんだかわからないのにお客さんからの問い合わせは来て、1件も対応できませんでした。気づけば他の人が僕の仕事をするようになり、僕はやることがなくなり社内ニートになりました。
僕らしく頑張ろうと決意
正直、入社して1年間たっても、どうやって働いたらいいのか、何を目指して働いているのか、そういうことは一切わかりませんでした。そういうことは自分で決めなきゃいけない訳ですが、僕は自然とわかってくるものだと思っていたみたいです。
2年目になり、別のプロジェクトに移動となった僕は新しい上司や新しい職場の人と新たな人間関係を構築することになりましたが、そこで出会った先輩の目標を聞いて、僕は僕らしく頑張ろうと思いました。

ミス連発で外される
頑張ろうと思ったものの僕はミスが多い人でした。そして、僕自身ミスが多いことを知っているので、ミスを減らすためにセルフチェックをするのですが、セルフチェックをしてもミスを発見できない人でもありました。でもミスがあることを知っているので、セルフチェックに時間がかかるのですがミスを発見できない。
その結果、仕事は遅く、にも関わらずミスが多い。当時は客先常駐という形態で仕事をしていましたので、お客さんと関わる機会が多く、僕のミスでお客さんに何度も迷惑をかけました。
そして、同じミスを2度3度、4度5度と繰り返しお客さんを怒らせ、僕はその仕事から外されました。

わからないことがわからず途方に暮れる
ミスを連発したのち、僕は社内勤務に戻されました。そこで始まったのが、設計書のないシステムの保守作業でした。引き継ぎもイマイチわからないようなわかったような感じで、「何かわからないことある?」と聞かれ、「ありません」と答えましたが・・・。
正直言って、わからないことがわかりませんでした。「こりゃやばいぞ」と心の中で思いながら始まった業務は全然わからず、途方にくれました。

時間ばかりが流れるけど成果はゼロ
全然わからない保守業務を担当してから、日々送られてくるお客さんからの問い合わせには全く回答できずにただ時間が流れるだけでした。わからないことだらけのため、この業務の前任者である先輩にメールで色々聞いてみるのですが、このメールのやりとりに苦労し、なかなか業務スピードは改善しません。
気づけば、お客さんからの問い合わせも山ほど貯まり、時間は過ぎていくのに対応した案件数はゼロという日々を過ごします。

ひとりぼっちで孤独な日々
ビジネスマンとして情けない日々を過ごしていた僕ですが、「仕事ができない」ことと同時にもう一つ問題を抱えていました。
それは孤独です。社内では誰とも仲良くなく、楽しそうに先輩と話す同期をうらやましく見ていました。一方の僕は1日に一言二言しか言葉を発さないくらい社内で会話をする人なんていませんでした。家に帰ってもやっぱり孤独でした。彼女もいない、友達もいないので、休みの日はどう過ごせばいいのかわからず、ひとりぼっちで過ごしていました。

ギブアップ!
公私ともに不調な僕ですが、仕事に関しては給料をもらっているのですから、不調などとは言っていられません。一人で保守の仕事を担当して2週間。お客様からの問い合わせには一切対応できず成果はゼロです。このまま放置するわけにはいきませんので、上司に相談しました。
しかし・・・。残念な結果に・・・。とりあえず諦めました。

会社嫌い、仕事嫌い
入社以来、何か相談したり話しかけたりすることさえしんどく不安だったこともあり毎日が不安でしたが、この時期は成果ゼロの毎日だったのでさらに不安な毎日で心休まりませんでした。どうしたらいいのかわからず、悩んで悩んで心臓がえぐり取られてるような痛みを感じるほど胸が痛かったです。
そんな僕でしたので、仕事も会社も嫌で嫌でした。

悩みを相談できない
仕事に関して様々な悩みがありました。会社で話しかけられないこと、時間ばかり使って成果がゼロなこと、この先どうすればいいのかわからないこと。
しかし、僕は誰にも相談をしませんでした。同期に1人だけ相談できそうな関係の人がいましたが、相談しませんでした。なぜ、相談しないのか?僕なりに考えた3つの理由。

社内ニートへ
こんな状況でしたので、ついに僕の仕事は他の人がやるようになりました。以前、上司に相談した効果のようです。つまり、僕の仕事はなくなりました。
会社ではネットやボケーっとして時間を潰し、家ではそんな現実から逃げるために酒をたらふく飲み、「明日、大災害が起きて全てリセットされないかなぁ」などと考えるだけ。そんな感じで7月も8月も過ぎて行きました。

命を否定される
社内ニートになってから、とにかく会社にいることが嫌でした。そして、何かを変えようと思う気力もわきませんでした。毎日会社にきてパソコンの前に座るだけの日々を過ごし、定時になった瞬間に音もなく退社するようになりました。
そんなある日の定時後、若手社員による自主的な勉強会が行われるとのことを直前で知らされましたが、もう会社にはいたくないという気持ちや家に帰れればどうなっても構わないという思いから参加せずに帰りました。
その際に、先輩社員から暴言を吐かれ、すべてのものがグニャグニャと壊れてトイレへ避難しました。

誰も理解してくれない
今の状況を誰かに相談したい!助けてほしい!と思い、親に相談しました。今まで親に心配をかけたくなかったので悩みの相談なんてしませんでしたが、相談できるのが親だけだったのでそうしました。
しかし、残念ながら親は理解してくれませんでした。社会人はみんな辛いのです。僕くらいで悩んでいる奴は人間失格なのです。でも、僕はもう働き続けられそうにありません。僕はまさに打たれ弱い現代っ子だったのです。

仮病欠勤編
社会人2年目なのに社内ニートになった僕は次の問題にぶち当たりました。
どうしたらいいのかわからず、僕は仮病という逃げの手を使いました。それも何日間も・・・
そんな社会人2年目の9月第1週〜2週の話。
出来損ないのお前を雇う金はない!?
前月の勤怠管理システムの締め作業をして上司にりん議を送ったものの上司は承認することなく僕に何度も差し戻してきました。この予算はダメ、あれもダメ、「では、どうすればいいですか?」と聞いても「自分で考えろ」「やりようがあるだろ!」という回答しか得られず・・・。
社内ニートまで落ちこぼれた僕にはそんなことを自分で考え解決できるほどのスキルも知識もありません。

もうダメ・・・だ。
もともと社内ニートですから、社内では常にパソコンのスリープモードのような状態の僕ですが、このときの僕は充電残量1%くらいの状態でした。「もう、どうでもいいや」とスリープモードでボケーっとしていると上司に呼び出されて面談室で説教をされました。
でも、もう頭が全く動きません。上司が何を言っているのかも、自分がどう答えるべきなのかもわからず、上司に「考えろ!」と言われますが、「考える」という文字しか思いつきませんでした。

仮病欠勤1日目
面談の翌日。僕はいつも通りの時間に起きましたが、体は全く動きません。時間だけが経過していく中で、冷静に会社まで行く段取りを考えながらも、なんとなく現実味がありませんでした。床に張り付いたまま動かない自分を客観視しているような変な気分のままある決断をします。
「今日は休もう」

翌日も・・・
仮病で欠勤した翌日。頑張って会社に行くことにしました。僕はこう見えても保守的な人間なので仮病で休むなんて人を見下していた人です。だから、今日は会社に行かなければなりません。
でも、行けませんでした。通勤途中で心が折れて、途中下車して心療内科へ逃げました。

週末を挟んでさらに続く欠勤
二日連続で仮病を使って休んだ僕ですが、三日目も仮病で休みました。三日目は金曜日だったので、金曜日と土曜日はストレスフリーな週末を過ごせました。なぜなら、上司に欠勤の電話をしなくていいからです。
しかし、日曜日はしんどく、落ち着きませんでした。そして、月曜日の朝になりました。
もちろん、熱が出ているという理由で仮病で欠勤しました。先週の火曜の夜から熱が出ているわけですが、「悪いウィルス感染でもしたのかもしれない!」なんて思う人は誰もいません。「どうせ仮病でしょ!」と思われていたことでしょう。

休職診断書
その日は心療内科の予約日でした。医師にずっと会社を仮病で休んでいることを伝え、この生活がいつまでも続けられない不安を話しました。いつまでも仮病で欠勤し続けられません。すると医師は休職診断書なるものを書いてくれました。「今日中に会社に連絡して1ヶ月休むように」とのことでした。
会社に連絡する、つまり上司に「休職します」と言う電話をすることがとても苦痛でした。その日のうちにはできず、翌朝の10時ごろになんと電話をかけましたが、意外に簡単な会話で終了し休職生活に入りました。

休職前期編
社会人2年目の9月、社内ニートだった僕は仮病による欠勤を繰り返し、うつ病と診断され休職することになりました。休職は7ヶ月間続くことになります。
この記事はその休職前期にあたる3ヶ月が休職前期編です。
詐病?新型うつ病?
休職直後は開放感が強く、元気になりました。しかし、休職が決まっただけでこんなに元気になる僕は本当にうつ病なのか?という疑問がありました。詐病なのでは?
ネットで調べてみると新型うつ病というどう見ても「甘え」としか思えない病気と症状が似ていいて、「やっぱり甘えだったんだ」と働くことから逃げた自分自身に失望しました。

好きから嫌いへ
休職中はやることもありませんが、面白いと思えることもありませんでした。ボケーっと布団に横たわりテレビやネットを見るだけで。やがて新しい情報はなくなり、この世の全ての情報を一度は閲覧したのではないかと思うほど飽きてきます。
そんな時、通勤時によく聞いていた音楽のことを思い出しました。聞いていると落ち着くし、大切にしていたことを思い出させてくれる曲で、被災しぶりに聴きたくなりました。
でも、聞いてみると、嫌な出来事ばかり思い出す嫌いな曲になっていました。

休職中の生活
休職が始まると生活のリズムはめちゃくちゃになりました。寝てばかりなので常に布団の上で生活し、ご飯はコンビニ食ばかりで美味しくなく、シャワーも全然しないので体は常にベトベトしていました。



閉塞感再び
休職して2週間ほど経った頃から再び閉塞感を感じるようになりました。ただ休んでいるだけですから、僕が抱えている様々な問題が解決される訳ではありません。コミュニケーションが苦手、仕事が遅くミスが多いなどの僕が抱える課題は解決されていないのですから、復職しても再び同じ状況になるだけです。
やっぱりうつ病ではなく、甘えではないか?とも思いながら、残りの2週間も自堕落な生活を送りました。

休職延長
休職終了まで残り10日ほどになった頃に心療内科に行きました。僕の心療内科は今思うと変だったなぁと記憶があります。長い待ち時間と短い診察時間を終えると、僕はさらに2ヶ月休職を延長する診断書をもらいました。

外出恐怖
ずっと外に出られませんでした。心療内科に行くときとコンビニに行くときだけ、でもどっちの時も外出は苦労しました。
外出するとみんなに笑われてる気がするんです。だって、みんな働いてるんですよ。正規分布の外れにいることを感じました。

休職中期編
少しずつ元気になっていく。実家の福岡と名古屋を行き来したり、公園や図書館に外出したりするようになる。まだ回復までには程遠いけど、確かに前進している気がする時期。
2010年11月中旬から2011年1月始めくらいまでの話のまとめです。
親にうつ病と休職を打ち明けた
堕落しきった日々を過ごすだけで全く状況は変わりませんでしたが、ふと親に電話しました。その時にようやくうつ病と休職をしていることを伝えました。今思うと、電話してよかったです。これをきっかけに実家で休養することとなり、元気になっていくきっかけを掴みました。

乗り物酔い始まる
名古屋から福岡へは新幹線で3時間ほどかかります。その実家へ帰る新幹線にて、新幹線の居心地の悪さに気づきました。狭いし、空気は悪いし、夜だと外が見えない。
その結果、乗り物酔いと無縁な僕が乗り物酔いにより嘔吐してしまいました。うつ病とも関係があるのか?わかりません。

親との涙の再会
到着した小倉駅の新幹線改札口で両親と再会しました。しかし、父も母も小さく見えました。一方の僕は見た目だけ大きくなっていました。
その途端に涙が止まらなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

実家での生活
実家には6匹の猫がいまして、その猫たちに癒された僕は日々元気になっていきました。近所のレストランに外食なんかもするようになりました。


一方で、実家ならではの理由で外出がしにくいという面もありました。


さらに元気になったことで、脳も元気になったみたいで色々なことを考えすぎてしまうようになりました。その結果、ネガティブな方向に考えることが多く悲しくなったり、どう考えてもありえない考えに頼ったりしました。


元気になっていきましたが、年末年始にすごく眠たい日々が続きました。眠たくて眠たくて、正月三が日は15分くらいしか起きていなかったんじゃないかと思うほど寝続けました。正月をすぎると眠たい症状はだんだんとなくなり、それを機に実家を離れて名古屋のアパートをメインに生活するようになりました。

休職後期編
実家休養を終えると僕は名古屋のアパートに戻りました。そして、今後のことを考えるようになりました。幸いなことに体調も回復していたらしく、比較的容易に外出できるようになりました。でも、やっぱり色々と難しかったです。大学院受験や退職の電話、引っ越しなど。
この休職後半編(1月中旬から3月)にて、僕は退職して大学院進学を決めました。なぜなら、そもそもの問題が解決されていないため、会社に戻る勇気がないからです。
元気になっていく
外出できるようになったとは言っても、名古屋駅や栄、大須などの人が多い場所へ行くことは難しかったので、静かな場所へ外出していました。一番よく行ったのが図書館でした。
その図書館によく行くようになったきっかけが三国志でした。三国志が読みたくて仕方なかったので図書館に行き始めました。

いざ大学院受験へ
今後のどうするのか?ということを考えるようになったのですが、働くことはできないと思いました。復職するにしろ、転職するにしろ、働けば再びうつ病になると思ったのです。だから、働く以外の道を模索しました。
心の底の方でずっと隠し持っていた「大学院へ行きたい」という思いをほじくり返しました。でも、うつになって以降、いや会社で働き始めて以降、頭がイマイチ働かない感じがあり、研究という頭を使う作業ができるのか不安でした。

そこで、心療内科の医師に相談すると、「大学院生は皆主役になれる」という根拠のないコメントをもらい、それを真に受けた僕は大学院進学を決めます。明るい将来を想像することが楽しくて、大学院進学が楽しみでした。

しかし、大学院入試の手続きは苦労しました。働くことなんかと比べるとはるかに簡単なのですが、文字を書いたり、考えたりすることから半年くらい離れていますから。

さらには、大学院入試そのものでも苦戦しました。準備が足りなかっただけなのか、久しぶりに活動したからなのか。

退職することを伝える
転職が一般的になっている現代において、退職と無縁の人はほとんどいないと思います。僕も大学院へ進学することにしたので、退職する必要があります。そのためには会社に退職する旨を伝えなければいけません。
嫌なことを後回しにする癖がついていた僕は、退職を決断してから退職を伝えるのに2週間くらいかかりました。

ゴミ屋敷の引っ越し
退職を伝えることに時間がかかりましたが、家探し〜引越しまでもなかなか作業に取り掛からなかったため時間がかかりました。なんとか無事に引越し作業を終わらせましたが、苦労したことを3つ紹介します。

名古屋でやっと見つけた好物
こんなサラリーマン生活だったので、生活していた名古屋に対してはいい印象がありませんでした。基本的にはテレビ番組も文化も都市そのものが嫌い。
そんな僕でしたが、引越しのおかげで少し活動的になり、名古屋での生活終了まであと1週間というタイミングで、ついに「この名古屋の、めっちゃ好きだ!」というものに出会いました。そして、もっと早くにもっと活動しておけばよかったと後悔もしました。

さよなら名古屋!最終日
最終日だからといって、大したことはありませんが、勘違いによりあるものを早めに停止してしまい、貴重な経験をして、サラリーマン生活は終了しました。
名古屋駅の新幹線ホームから見た名古屋の景色が忘れらません。

まとめ
以上が、僕がサラリーマンだった時の辛くて苦しかった話の概要です。
その後、会社の元同期の計らいで上司や元同期たちと再会を果たし、当時のことについて謝罪と感謝をすることで、自分の中ではこの時代の出来事を収めたと思っています。元同期たちとは今でも年に1回ほど、食事をするくらいの交流を続けています。
退職後、大学院へ進学しましたが、相変わらず苦労することになります。その話はまたいつか。